幻想純喫茶Gentle

アイデンティティーバーゲン

エピソード1: アイデンティティバーゲン

大野香織は今日という日にかけていた。今日という日のために質素倹約に努め、貯金をし、皇居の周りを毎日ランニングした。そして、今日という日のために銀行から貯金を全額おろし、昨日から徹夜して、東急百貨店入り口に並んでいた。

大野香織をここまでさせる原因は最近流行の『オンリーワン商品』にある。世の中は個性を求める時代。しばらく世界を支配していた大量生産大量消費の価値観は過去のものとなり、オーダーメイド、自作、アレンジメントが欠かせなくなった。その中でも今流行なのがオンリーワン商品である。オンリーワン商品とは一点物を今風の呼び方にしたものである。オンリーワン商品は、高額だが、世界に同じデザイン、同じ機能を持つものはなく、個性を求める時代にピッタリの代物だった。様々な分野の大手ブランドが、こぞってオンリーワン商品を売り出した。そして、多くの人がわれ先にとオンリーワン商品を買い求めた。大野香織もそのうちの一人である。

だが、大野香織は自分を他のオンリーワン商品を買い求める客と差別化していた。大野香織は他の人と同様に、非常によくいるタイプの人間の一人だった。自分の価値を自分で見つけられず、すべてにおいて中の中から中の下の成績で個性がないと嘆いていた。オーダーメイドや自作、アレンジメントも少し試してみたが、ことごとく失敗し、己のセンスの無さを嘆いた。そんな彼女がオンリーワン商品に飛びつくのは、ごくごく自然な流れだった。彼女は有名ブランドがオンリーワン商品を出すたびに百貨店に足を運んでいた。しかし、いくらブランド物のオンリーワン商品を集めても、オンリーワン商品は彼女に個性を与えてくれなかった。彼女は悩み、考え、そしてひとつの結論に辿りついた。

「ブランド物のオンリーワン商品は本物のオンリーワン商品ではない。」

世の中のオンリーワン商品を求める人の多くは有名ブランドのオンリーワン商品を買い求めるが、有名ブランドのオンリーワン商品はブランドのコンセプトを反映した一連の商品の一つに過ぎない。そう、デザインこそ差はあれ、同じコンセプトを持ってしまっているのだ。このため、ブランド製のオンリーワン商品はオンリーワン商品ではないのだ。だから、大野香織は、個性を未だに得られないのだ。

大野香織は、数年かけてこのことに気が付き、そしてその解決法を引っさげて今百貨店前に並んでいる。東急百貨店オンリーワン商品バーゲン、開店 5 分前。大野香織の後方には既に長蛇の列が出来ていた。大野香織はその列の先頭にいる。この時、大野香織は冷静を装っていたが、内心は笑い出したくてたまらなかった。この日のための貯金、この日のための体力強化、この日のための徹夜、全てが彼女の予想通りだった。後は、開店と同時に転ばないように走りだし、お目当ての商品を買うだけだ。

「10・9・8・7・6…」

店員によるカウントダウンが始まる。大野香織は、カウントダウンに合わせて、いつも走る前にするように、トントンと小さくジャンプした。

「5・4・3・2・1・ゼロー、いらっしゃいませー!!」

開店の合図と共に大野香織は全速力で駆け出した。恥ずかしいという気持ちを忘れて走る走る。そう、全て今日の日のため、今まで誤って買い続けたブランド物のオンリーワン商品も今日という日のために必要なステップだったのだと信じて。大野香織の頭の中は秘策のことでいっぱいだった。その秘策は、ブランド物のオンリーワン商品の欠点を解消するものだった。とはいっても、中身は単純、ブランド物以外のオンリーワン商品を購入するというものだ。しかし、どこかの企業が作ったものではブランド物と変わらない。そうではない、個人制作、それでいて、その品以外に過去にも未来にも商品を作らない人の制作ならば…。大野香織は、この条件に沿ったオンリーワン商品を探し続けようやく見つけたのだ。

大野香織は、7 階の特設会場までエスカレーターを駆け上がり、一番に売り場に到着し、定員がたじろぐのも気にせずに念願の「柿原繁樹作 ジュエリーリング 120 万円」を現金購入した。そして、自分の買い物を終えると後から来る有名ブランドのオンリーワン商品を買い求める客を上から目線で笑っていた。大野香織はスキップしながら他のものに目もくれず、まっすぐ帰路についた。

大野香織は家に帰ると、子どもがサンタクロースにもらったプレゼントを開けるように満面の笑みで包装紙を取り除き箱を開けた。箱の中には、円で囲まれた三菱マークの指輪があった。三菱のそれぞれには小さなルビー・エメラルド・サファイヤが、周囲の円には細かなダイヤモンドが埋め込まれていた。
「これよ…これを求めてたの…。」
大野香織はうっとりしながら宝石を見つめた。

その日から大野香織は変わった。購入したリングを同僚にちょこちょこ自慢しながら、バリバリと仕事をこなした。リングは彼女の力の源で、彼女と他者を区別するための個性になった。彼女は、ようやく個性を手に入れた。

***

しかし、それからひと月して事態は一変する。大野香織宅に警察官が突然がやってきたのだ。そして、自分が買った柿原繁樹のジュエリーリングが、大手ブランドのジュエリーリングのデザインを真似て作られた模倣品というのだ。警察官は、大野香織にとうとうと事の次第とこれからのことについて説明すると同意書を書かせて、大野香織のリングを証拠品として持って帰ってしまった。大野香織は、このあまりにも衝撃的な出来事に呆然と立ち尽くすしかなかった。彼女はひと月で個性を失った。

大野香織が個性を失った3日後、大野香織宅に今度は東急百貨店のバーゲン担当者がやってきた。高坂というその男は、申し訳なさそうな顔でペコペコしながらやってきた。

「…弁償するということですか。」
「はい、今回このようになってしまったのは、私どもの事前調査が至らなかったと、本当に申し訳なく思っています。つきましては、大野様に返金、もしくは、同等の商品に交換することで弁償させていただきたいと思っています。」
「返金か同等の商品に交換ですか…」
大野香織は、平謝りの高坂を可哀相だと思いながら、返金や単なる商品の交換で、この問題は解決しないと思っていた。大野香織が求めていたのは個性をくれる商品だった。今更、値段こそ上の有名ブランドのオンリーワン商品をもらっても大野香織には何の意味もなかった。大野香織は、何も言えなかった。

大野香織が何か決めあぐねている様子を見て、高坂は自らのカバンをゴソゴソとあさり小さな指輪ケースを取り出した。
「これは?」
大野香織が高坂に尋ねると、高坂は少し微笑んで言った。
「これは、大野様がお買い求め頂いた商品と同等のレベルのリングでございます。」
高坂の笑みに対して、大野香織の反応は冷ややかだった。
「申し訳ないですが、私は、あのリングが欲しかったんです。あのリングと同等と言われても…。」
高坂は、大野香織にそう言われても、なおにこやかだった。
「いいえ、同等だと思います。一度ご覧になってみて下さい。」

高坂は、ゆっくりとケースを開けた。そして、中に入っていた指輪をつまみ上げ、大野香織の手のひらにのせた。
「この指輪は、正真正銘の世界に1つしかない指輪なのです。」
高坂の自身満々な態度に、大野香織は少しイラつきながら答えた。
「それは、どのオンリーワン商品でも同じでしょう?」
大野香織のこの台詞を待っていましたとばかりに、高坂は、大野香織の手の上にある指輪について説明を始めた。
「いいえ、これは、そこらのオンリーワン商品と訳が違います。この指輪は付ける人によって、その色を変えるというガラスの指輪なんです。」
「付ける人によって色を変える?」
「そうです。大野様が、この指輪をつけたとします。そうすると、この指輪は、大野様の心の変化にあわせて刻々と色を変えていくのです。違う人が付ければ、指輪はその人の心に合わせて色が変わってしまいます。ですので、この指輪の色は、付けている本人だけしかしらない。正真正銘のオンリーワン商品なのです。」

高坂は熱く熱くそう語りおえるころには、大野香織は自分の手のひらにある指輪を右手薬指にはめていた。そう、これだ!と思ったのだ。高坂の言ったことが本当ならば、あのリングよりも、もっとずっと求めていたものだと思ったのだ。前のリングであれば、製作者がリング制作を再開してしまったら、本当のオンリーワン商品にならなくなってしまう。それが、これはどうだろうか、その時その時、つけている人の心の様子に応じて色が変わる。これ以上のオンリーワン商品はない。大野香織は目を輝かせた。
「高坂さん。これをあのリングの代わりに頂けますか?」
高坂は、大野香織の言葉に、にこっと笑顔で答えた。
「どうぞ、気に入っていただけたようで、こちらも本当に嬉しいです。」

高坂が帰った後も、大野香織はずっとリングを見つめていた。リングは窓から差し込む光を反射しキラキラと輝いていた。大野香織は、刻一刻と変化するリングの色をうっとり眺めた。大野香織は、今度こそ個性を手に入れることができたのだった。

***

大野香織は、ガラスのリングをつけた日から、人が変わったように積極的に行動するようになった。仕事も趣味もボランティアも何でも精力的にこなすようになった。彼女が積極的に行動するごとに、ガラスのリングは、その輝きを増していった。リングの輝きが増すたびに大野香織も輝いた。

今日も、東急百貨店 2 階の雑貨売場では、 1,980 円でガラスのリングが売られている。